暮らしエッセイ

〝子どもいない人生を受け入れはじめる〟

イメージ画像 ペア八朔

40代半ばにあともう少しで差し掛かる私には子どもがいない(主人は以前の婚姻時に子どもさんひとり授かってる)。

妊娠、出産は望めば叶うことだと何の情報も得ず、調べもせず、20代30代を過ごした無知な私。
結婚したら、避妊せずに営んだら妊娠、出産するって信じて疑わなかった無知な私。

本当に知らなかった。知ろうともしなかった。今でもその無知には後悔してます。

38歳で主人と出会い、結婚、不妊治療スタート。
不妊治療は体外受精もやったけど、私の場合は2年目41歳で行った人工授精で最初の妊娠。
でも9週の壁を越えられずに心拍停止、流産という結果だった。
妊娠はするけど育たない。そういうのが2回続いた。

医師が言うには、年齢が高くなるにつれて、妊娠することも難しいのだが、妊娠を継続させることもまた難しい。たとえ、受精卵が無事着床(妊娠)しても順調に育たないケースも多い現実らしい。

「卵の問題なので、気にすることはないよ。妊娠はできるんだから。」

と言われたけども、私の不妊治療の歩みはそこでストップしたのだった。

やめた理由は、脱サラ農業のウェイトが大半を占めだし、主人の協力がもらえないと判断したこと。

不妊治療では、主人の協力、いわゆる精子の提供が必要不可欠。

だけど、農業が始まってからの主人はことあるごとに
「もう無理やわ」、「子どもはいらない」、「今の状況で妊娠されたら困る」、「お金はどうする」、「育てられる状況ではない」など、ネガティブワードのオンパレード。

自分にモチベーションがあった時は、どんなにネガティブなことを言われても、何とか説き伏せてお願いするのも苦じゃなかったけど、そういう毎回のやりとりに正直億劫になってしまったのが一番大きい。

協力的な主人だったらもう少し違ったんだろうけど、ウチの主人は協力的ではない。タバコはヘビースモーカー、お酒も毎日晩酌。無理して我慢してまで子ども欲しいとは思わない人なのだ。

次に思い浮かぶ理由は、またあの痛い注射を打たなくてはいけなくなるのか、甲状腺ホルモンの服用で一日かけて通院するのかという、ネガティブな気持ちが子どもを欲しいという気持ちに勝らなかったこと

不妊治療始めた時は、どんなに痛い注射でも、煩わしい通院も乗り越えてきた。

だけど、不妊治療をしていくと、無知だった自分に後悔しては泣き、妊娠できない自分を責め、妊娠できない原因をどうにかして見つけようと受ける必要のない検査手術を自ら臨むまでの追い込み、それによってメンタルは蝕まれていって、しまいには軽度のうつになって当時の職場を休職、後に退職。

2年経ってようやく妊娠はできたけど、今度は育たないという壁がやってくる。それが連続して2回。

次頑張れば、次頑張れば、、、そうなのかもしれないけど、私は次が頑張れなかった。
いろいろ限界だったのかなと思ったりなんたり。

服用していたサプリや甲状腺ホルモンの薬もスッパリやめたのも同じ時期。あの時は解放感もあったなぁ。子どもはもういいやって本当に思った。

そうしてあれからもう直ぐ2年。

こうやって書いていくと、まだ胸の奥に子どもを産めるなら産み育てたい気持ちが湧いてはくる。

どこかで諦めてるのに、どこかで諦めてない私がいる。

だけど、非協力的な主人を説き伏せるパワーは残ってないし、年齢的に体力的に産み育てる自信がないのも事実。

それよりは〝子なし妻〟としてどう生きていくか、〝子なし〟ってことは老後とか財産とか、自分の死に支度含めてどうするべきかって、そういうことを考えはじめるようになった。
〝子なし〟という自分になることをようやく受け入れる、それが私の現実として生きていく、心の準備がようやくできたからだと思う。

無知さゆえの後悔は二度としたくないから、
情報を取り入れながら、私はどう考えるかどうするかを選択して、『子なしおばあちゃんでも、私の人生良かったぞ!』といえる最期を目指す!

なんだかんだで大好きな主人と私の心のよりどころの愛犬との今を大切に穏やかに朗らかに

子どもは育たなかったけども、妊娠することができた私がオススメできるサプリとかも今後紹介していきますぞ!

スポンサーリンク

-暮らしエッセイ